前回、前々回と現場改善においての定量化や、データ解析の重要性についてのお話をしました。
こうした話をすると見える化による改善というのは、スマートな方法でデータを集め、事務所でパソコンに向かって、データを処理するだけのような印象になってしまうかもしれませんが、もちろんこれでは改善は進みません。
今回は現場主義と見える化の関係について少し話をしたいと思います。
PDCA(Plan-Do-Check-Analysis)のサイクルに当てはめて考えると、実際の改善の流れはおおよそ以下のようになります。
まずPlan(計画)ではこれまでの経験や既存のデータに基づいて仮説を作り、その検証方法を決めます。
次のDo(実行)の段階では現場で実際に手を動かして、仮説に取り込んだ要因に働きかけて変化点を作ります。
続くCheck(検証)の段階で、Doの結果として各要因が意図した状態になっているかを確認しますが、この際に様々な見える化・定量化ツールが活躍します。(繰り返しになりますが、この段階で一足飛びに全体不良率の変化を見に行かないで下さい。ここでCheckするのはあくまでも当初意図した変化点が作れているかどうかです)
最後にAnalysis(分析)で効果の検証を行い、この結果が次のPlanへと繋がってゆきますが、この段階では前回のテーマであったデータ解析の手法が重要な意味を持ってきます。
以上は典型的なPDCAサイクルに当てはめた例ですが、実際にはPlanやAnalysisは頭の中で済ませてしまったりする事も多く、厳密にこの形になることはむしろ少ないかもしれません。
ただ、一つだけ確かなのはDoやCheckの工程は基本的に現場で行われるしかなく、特に異物問題改善でのDoは、清掃や洗浄などの作業を泥臭く、実際に手を汚して繰り返し行う必要がある事です。
ある現場では長年にわたって清掃が行われていない場所の清掃を行う必要があるかもしれません。またある場合には真夏に狭くて暑い乾燥炉の中に潜り込んで汚れと格闘する必要があるでしょう。
それでは、なぜ見える化や定量化を重視するのでしょうか?
実際、こうした手法が存在していなかった時代にも、異物不良率が低いレベルに抑えられた素晴らしい工場は存在していましたし、こうした現場では愚直に現場でのDoを繰り返し、トライアンドエラーの結果として正解に近づいて行ったのではないかと思います。
こうした改善活動は尊敬に値しますし、極端な話、現在でも時間と人員のリソースを潤沢にかける覚悟があれば、見える化や定量化などの手法はあえて必要がないのかもしれません。
しかしながら、時間と人員はもちろん有限です。
品質やコストの競争は益々グローバル化し、スピードが求められる中、現場での改善は泥臭くあっても、無駄骨に終わるような事は避けなくてはなりません。
ここに見える化を軸にした改善の意味があります。
現場で手を汚して実際に行う改善の実行と、その結果として現場から得られるデータを分析して次の指針を決めること。この両者を結びつけて効果的な改善のサイクルを回すためのコンパスになることが、大きな意味での見える化の意義だと言えます。
勿論これらのサイクルは問題の発生時点(時間的・場所的)に近い所でこそ真価を発揮するものですので、現場主義の徹底が前提になることは言うまでもありません。