1980年代の米国ニューヨーク市と言えば犯罪発生率も高く、地下鉄なども観光客が気軽に乗れるような物ではありませんでした。19994年にルドルフ・ジュリアーニ氏がニューヨーク市長に就任し、こうした治安状況の改善に取り組む際に利用したと言われるのがジョージ・ケリング博士の提唱した「割れ窓理論」です。
おおまかに言うと「割れた窓が放置されているような地域では犯罪の発生率が高いので、犯罪発生率を下げるためには割れた窓を修理するべき」という考え方で、ジュリアーニ市長はこの考え方を応用して軽微な犯罪も徹底的に取り締まることを指示し、就任後5年で重大犯罪が50%以上減少するなど著しい治安改善を実現したと言われています。
一方、ビジネスの場面でも東京ディズニーランドでは施設の軽微な破損の修繕や清掃をこまめに行うことで、従業員や顧客のモラルを向上させるのに成功していると言われており、これも「割れ窓理論」の応用例として有名です。
異物不良改善をはじめとし品質改善にも「割れ窓理論」の考え方は非常に大切で、どれだけ良い設備や優れた手法を用いたとしても「割れ窓」が放置された工場では望むような品質は得られません。
勿論、現在では文字通り窓が割れている工場は少ないと思います。ここで「割れ窓」が比喩しているのは、不用品の放置や工場内のホコリ、設備の異音、従業員の挨拶からトイレの汚れまで、職場環境を構成する多くの事象です。異物関係の不良に対しては工場内のホコリが直接悪影響するのは当然なのですが、経験上その他の事象についてもこれが放置されている工場では改善活動に時間がかかります。技術的な改善と歩調を合わせて、工場内の「割れ窓」への手当てを常に進めましょう。
本来であれば今回のテーマは以上で終了なのですが、どこか違和感を感じる点があるのではないでしょうか?
実は先のニューヨーク市の事例については前日譚がありますので、少し丁寧に経緯を追ってみます。
1982年にケリング博士は割れ窓理論の論文を発表します。1984〜1990年にニューヨーク地下鉄公団がケリング博士を顧問に招聘し、数十億ドルの予算を投入して地下鉄の落書き清掃作戦を開始します。その後1990〜1995年鉄道警察の指揮官ブラットン氏が無賃乗車や迷惑行為の徹底取り締まりを実施します。そして1994年に冒頭のようにジュリアーニ氏が市長に就任すると、ブラットン氏を市警長官に起用し軽度の生活環境犯罪の取り締まりを強化します。
1990年を境に働きかけるポイントが変化している点にお気付きかと思います。1990年までは地下鉄の“落書き”を対象にしていたのに対して、それ以降は犯罪や迷惑行為を行う“人”が取り締まりの対象になっています。
地下鉄の落書き対策は文字通りの「割れ窓理論」の応用ですが、それ以降の取り締まりは「ゼロ・トレランス(不寛容)政策」あるいは単なる厳罰主義に変化しているのです。
両者は混同される場合が多いのですが、働きかけるポイントが異なり、本来全く違うアプローチです。
よく言われる言葉に「悪循環」あるいは「負のスパイラル」があります。
品質不良が多い場合には往々にしてこうした悪循環に陥っていることも多いため、改善活動はこの循環・ループを止める作業でもあります。
例えば割れ窓のスパイラルは「割れ窓が放置される」→「誰も注意を払っていない雰囲気」→「犯罪がうまくいきそうな感じ」→「犯罪行動」のループが加速しながら回り続けます。
厳罰主義の場合はループの「犯罪行動」そのものに働きかけます。工場改善に応用するなら、ルールに違反したりミスをしたりした従業員を叱ることや、場合によっては何らかのペナルティーを科す事に相当します。
これに対し本来の割れ窓理論ではより上流の「割れ窓が放置される」点に働きかけます。先の東京ディズニーランド事例が典型的な応用例ですが、工場運営では5S活動やTPM活動に代表される各種の予防処置的な取り組みに相当するでしょうし、もっと身近な例では工場内に落ちているゴミはすぐに拾うなどの習慣付けの部分もあるかもしれません。
こうした本来の割れ窓理論のアプローチは、ともすれば回りくどい方法だと考えられることも多いのですが、レベルの高い工場では必ず備えている美点です。
確かにある条件下では厳罰主義的なアプローチが必要な場合もあるのですが、この手法だけで到達可能なレベルには限界があります。本来の意味での割れ窓理論が効果を発揮し、改善の好循環が回り出すことが目指すべき姿であり、こうしたアプローチを行う上で様々な「見える化」手法が、問題点(=割れ窓)を明らかにすることや、改善効果を確認することに威力を発揮するのです。